はじめてのひとりたび 前編

もう8年も前になるけど、初めて行った旅、房総自転車旅について書いてみる。

 

 

 

大学1年生の夏、私は友人と2人で、自転車旅の計画を立てていた。高校の部活を引退してから始めたバイトは、ほぼ丸1年となっていた。大学に入ったことで食事会(隠語)や遊びが増え、金欲しさにシフトをガンガン入れ、大学は適当に休むという典型的なクソ文系街道を進んでいた私は、丸々1週間バイトを休むということに、やたらと罪悪感を覚えた記憶がある。

ともあれ、休みを獲得し、出発日を心待ちにしていた数日前、友人からキャンセルの連絡が来た。仕方がない理由だったので、怒りはもちろんなかったが、急に空いた予定に困った。バイトは人手不足の折だったので、言えばシフトは入れそうだった。が、せっかく空けた休みを、結局バイトで埋めるのは、どうにも癪だった。

 

入れられる日に遊びの予定を入れつつ、ダラダラ過ごそうかと考えながら、ふと思い立った。1人で行ってみるか?

お互い自転車旅は初めてだったので、房総半島の最南端に行くという以外、綿密な計画は元々立てていなかった。1日どのくらい進めるかも分からないので、宿も取っていなかったのである。人数が変わったからといって、キャンセルするものもなければ、相手から受け取らなければいけないものもない。行こうと思えば1人で行ける。

当時、自発的な旅行というものに行ったことが、ほとんどなかった。旅行と言えば家族旅行か修学旅行、友人との遠出は、誘われて行ったスキーくらいだった。初めて自発的に旅行することに対して、既に期待が膨らみきっており、諦めたくないという気持ちが、段々と大きくなっていた。

 

元々、体力には自信があった。高校で入っていたテニス部では、走り込みのタイムは部内トップクラスだった。顧問からは、テニスよりも陸上の方が向いている、と言われた。当時の私は純粋に傷ついた。

当時はスマホがかなり普及していたが、持っていない人は一部におり、私もその一人だった。ガラケーの地図はかなり心もとないし、検索能力もスマホに劣る。宿を調べる時には友人のスマホを頼ろうと思っていたので、ここは割と不安だった。

だが、そうは言っても、千葉は関東である。しかも東京の隣である。割と栄えているだろうし、少し探せばネカフェくらい見つかるはずだから大丈夫だろう。自信に満ち溢れた若き私は、一人旅を決意した。

 

■1日目(23区の西の方~君津) 90kmくらい

せっかく旅行に行くのだから、朝早めに出発し、時間たっぷり楽しみたい。その考えが高じて、学生時代の旅行は、大体前日夜に出発し、朝方目的地に到着し、寝るという形だった。

当時の私は、そんなことを知る由もなく、普通に朝寝坊して10時過ぎに起きた。なんなら起きてからも、「なんかダルいし、明日出発でもいいかな・・・」とか考えていた。結局、マウンテンバイクに乗って家を出たのは、11時過ぎだったと思う。

 

自転車旅は初めてだったので、1日どのくらい進めるかは、全くの未知数である。そこで、初日の目的地は家で調べ、それ以降はその日に泊まるネカフェで調べて決める、という完璧なプランを立てていた。

初日の目的地は、木更津に決めた。「木更津キャッツアイ」という言葉があるし、アクアラインも通っている。当然大都市に違いないのである。

自宅から木更津駅は、80kmちょっとだった。そこまで長距離は走ったことがないが、休み休みでも、まあ大体8時間あれば行けるだろうと、大まかに見積もっていた。出発を遅くしたのは、この余裕があったからでもある。

 

都内は、特に見る所もない。普段から電車で訪れたことのある所ばかりだし、なにより暑くてそれどころじゃない。早くも後悔を始めていた。

いよいよ東京を抜ける手前、江戸川にぶつかって気が付いた。渡る橋がない。北の方に車が通っている橋が見えたので近寄ってみたが、どこからどう見ても高速道路だった。

ガラケーの頼りない地図で検索したところ、5kmほど北上すれば、一般道らしき橋があるようだった。暑さで若干げんなりしつつ、北を目指す。

半分くらい来たところで、休みがてらもう少し調べてみた。すると、最初に川にぶつかった地点のすぐ南にある水門が、歩いて渡れるものだったらしい。自分の愚かさから目を背け、ガラケーの検索機能に恨み言を言いつつ、水門見たさに引き返す。

今となってはぼんやりとした記憶だが、水門を渡る前後に、牧場のような匂いを感じ、牛の鳴き声を聞いた気がする。23区内に牧場があることに驚いた記憶があるが、今調べても、それらしいものが出てこない。あれはなんだったんだろうか。

 

なんとか千葉に渡ってからも、大きく代わり映えはしない。稲毛の神社でお参りをしつつ、国道14号線を進む。よくある幹線道路が続いていた。変化があったのは、五井を過ぎてからである。

変わらない景色に段々と飽きてきていたので、脇道に逸れては、また国道に戻ってくるということを繰り返していたが、五井駅の辺りで脇道に入ると、急に茫漠とした田舎道が広がった。

川と線路の景色が記憶に残っているので、川は養老川、線路は内房線小湊鉄道だったのだと思う。とにかく、衝撃が大きかった。ほんの10分前まで、自動車が行きかう国道にいたのに、今は、単線の線路が続く、川が見える田舎道にいる。

祖父母の家も、なかなかの田舎にあるが、見慣れた景色ではある。同じ田舎でも、初めて見る景色に、妙な感動を覚えていた。「原風景」というとまた自分の中に違うイメージがあるが、今でも心に強く残っている景色である。

 

迷わない程度に太い道に戻りつつ、なるべく国道は使わないように南下していく。国道、特に幹線道路は、どうしても景色に代わり映えがない。これはどこの地域でも同じで、今でも、旅行の移動時には、なるべく国道を使わないようにしている。

時折、コンビニに入って涼みつつ、地図を立ち読みして道を確認する。これまた記憶が曖昧だが、自分のガラケーには、GPS機能がなかったのかもしれない。

 

木更津駅に着いた時には、辺りは大分暗くなっていた。津田沼クラスの都会を想像していた私の希望は、簡単に打ち砕かれた。

オブラートに包まず言うと、寂れていた。腹ごしらえをしようにも、18の鼻たれ小僧には厳しそうな、赤提灯がぶら下がっている店しかないし、辺りを見渡すと「ルーム代1分1円」と窓ガラスに書かれたカラオケ店が見える。なんだあれは。

今は分からないが、8年前の木更津はそんな感じだったと思う。勝手にハードルを上げていた分、自分の中で記憶補正がかかっているかもしれないので、木更津にゆかりのある方は怒らないでください

 

大都会だからと事前に調べなかった自分を今度こそ恨みつつ、携帯で一応検索する。が、やはり引っかからない。1駅先の君津にありそうということが分かったので、とりあえず木更津を出発する。

すっかり国道嫌いになっていたわたくし、おおよそ方角の見当をつけ、適当に街灯の少ない住宅街を走り出す。

 

走り出してすぐ、T字路にぶつかった。左手には空き地がある。斜めに通り抜けようとした次の瞬間、体が宙を舞っていた。空き地にはチェーンがかかっていたのだが、街灯が少ないため全く見えなかったのである。

変に減速せずに突っ込んだ分、体だけがきれいに飛び、不思議と怪我はなかった。自転車を起こし、気を取り直して再出発しようとする。が、ペダルが空回りする。

転んだせいで何か不具合が起きたらしい。しかし、暗すぎて状況がよく分からない。木更津には街灯が少ないのである。

 

携帯の光を頼りに、チェーンが外れていることが分かったが、どうもうまく直らない。自転車屋を検索してみると、線路の向こう側に1軒ヒットした。木更津にはネカフェがないが、自転車屋はある。

走れないので、自転車を担いで歩き、線路を越える歩道橋を渡る。知らない土地で何をしているのだろうか。疑問を抱きつつ辿り着いた自転車屋で、おっちゃんは一瞬でチェーンを直してくれた。

あまりに簡単だったのか、「タダでいいよ」と言ってくれたが、さすがに申し訳なかったので、500円を払って君津へ向かう。

 

懲りずに細道を進んでいたら、いつの間にか草むらに迷い込んだ挙句川にぶつかり、一般道に合流するために自転車を担いで土手を登ったりと、妙なことをしつつも、ネカフェに到着してこの日は終わり。

君津駅を見に行こうかと思ったけど、意外と高低差があり、高台を上り下りする元気は残ってなかった。

 

■2日目(君津~勝浦) 120kmくらい

チャリダーの朝は早い。というか単に、前日21時には入店していたので、ケチって9時間パックを利用した私は、6時頃には出ていないといけなかったのである。

目的地の房総最南端、野島埼までは60km程度。ここまで、食事を除くと、休みも含めて平均12km/hくらいで来ていたので、大きなトラブルがなければ、夕方には戻ってこられることになる。

今日の宿もここになるかもな、と思いつつ、店を後にする。思ったよりも足には疲労が溜まっていない。が、リュックを背負って気が付く。肩が痛い。持ってきているものは着替えくらい、大して重い荷物でもないが、ずっと背負っているからなのか、腕を引く運転を続けてしまったからなのか、足と比べて驚くほど疲弊していた。

 

とはいえ、耐えられない痛みではないので、準備を整え、自転車に跨ったところで気が付いた。ケツが痛い。

ちょっと尋常じゃないくらい痛い。原因は明らかだ。固いサドルに9時間も10時間も乗っていれば、誰でもそうなる。当時の私は、クッションカバーの存在など知らなかった。私は少しだらしないケツが好きだが、あいにく私のケツは、比較的ハリのあるケツである。クッション性は期待できない。

ずっと立ち漕ぎをするわけにもいかないので、諦めて座る。「痛みは初めのうちだけ 慣れてしまえば大丈夫」甲本ヒロトも、そう歌っていた。

ハンドルを握って気が付いた。手も痛い。

 

いまだに海を見ていない。なんだかんだ海を見るとテンションが上がる人種なので、海沿いの道に出ようかとも思ったが、やめておいた。万が一道に迷ったら嫌だし、房総半島、思ったよりもアップダウンが激しい。平地の5kmよりも、上り坂1kmの方が、遥かにつらいということは、昨日学んだ。

今いる127号線をまっすぐ行けば、そのうち海に出るらしいので、いかにもな幹線道路だが、我慢して進んでいく。

 

しばらく進むと、道が片側一車線になった。店の数がぐっと減り、本格的に田舎の雰囲気が出てくる。

湊という交差点を過ぎた辺りで、ついに海が見えた。ここからしばらく海沿いの道が続くが、内房は海水浴場が少ない代わりに、地形の浸食が変化に富んでいて、飽きがこない。

海風を受けながら走り、たまに休みがてら海を眺める。夏を全身で感じているようで、心地よかった。

 

房総は、高くないものの山が多い。山が多いということは、必然的にトンネルが多いということである。ほとんどのトンネルには、歩行者通行帯がなかった。房総南部にも高速はあるものの、主要な道路である国道127号線は交通量も多く、トラックもよく通る。

つまりどういうことかと言うと、トンネル内が死ぬほど怖い。音が激しく反響するトンネルの中で、トラックが高速で、体の真横を通過していく。トンネルはひっきりなしに訪れる。

頭の中に甲本ヒロトを召喚するが、一向に慣れない。結局最後まで怖いままだった。

 

館山市に入ると、また道沿いに賑わいが訪れる。道路の両端に続くヤシの木が印象的で、南国の雰囲気を思わせる。

信号待ちで休憩していたら、部活帰りの女子学生2人組に話しかけられた。私があまりにしんどそうにしていたのと、テニスウェアを着ていたので気になったらしい。

この2人もテニス部で、2人ともガラケーだったこともあり、妙に意気投合してなぜかアドレスを交換した。もう会うこともなかったが、帰ってからもしばらくメールを続けていた。妙な縁である。ありがとうガラケー

野島埼を目指していることを話すと、県道86号線に入った方が近道であることを教わった。館山はもうトンネルが少なくなっていたが、この先増えるかもしれない。トンネルに若干のトラウマを抱きつつある私は、交通量の少なそうな県道を利用することに決めた。

結果的に、この判断は間違いだったことが分かる。

 

2人と別れてからしばらく同じ道路を走り、分岐から県道に入った。周りは何もない、のどかな景色が広がっている。

東に向かい、内陸に入ってから、南向きの道になった。5分もしないうちに後悔した。前述したとおり、房総には山が多い。内陸に行くにつれ高低差が広がるのは、自明である。

私が入った道も、斜度がきつくないものの、上り坂が多かった。上り坂は体力を奪う。私は、上り坂でハンドルを引く走り方をする癖があり、腕や肩へのダメージも大きい。

 

しばらく奮闘していたが、長い坂の前で、ハンガーノックになった。足に全く力が入らず、頭もくらくらする。

朝ご飯を買ったコンビニで、念のためにアンパンを買っておいたのが幸いした。糖分を取り、30分くらい休憩していたら回復したので、引き続き先を目指す。

 

ようやく峠を越えたかという所に、寂れた自販機があった。コンビニはおろか、久しぶりに見かけた自販機だった。

アクエリアスの2Lペットボトルは持っていたが、持ち運んでいるうちに、すっかりぬるくなってしまっていた。冷たい飲み物が恋しく、サイダーのボタンを押した。振って飲むプリンが出てきた。糖分補給には最適である。

炎天下、引っかかりながら喉を通過していくプリンを感じる。飲み終わった後、水でもいいから冷たい飲み物が欲しくなったが、この自販機にはプリンしか入っていないかもしれない。心を折られたくなかった私は、ぬるいアクエリアスを飲み干し、先を目指した。

 

距離にして10km程度だが、長く感じた県道を超え、最南端の野島埼に着いたのは、お昼を少し回った頃だったと思う。

最南端の碑を見て、近くの食堂に入った。せっかくなので豪勢に行きたかったが、旅慣れていない私は、1人で知らない土地の定食屋にいることに気後れし、安かったアジフライ定食を頼んだ。さすがアジが有名な房総、たまらなくおいしかった。

 

昼食を終え、周辺を散歩しながら考える。まだ昼過ぎで、予定通り夕方には今朝出発した君津に戻れそうである。君津に泊まり、翌日帰れば、この旅は3日間で終わる。せっかく1週間も休みにしたのに、それではどうにも味気ない。少し悩み、私は最東端の犬吠埼も行くことに決めた。

時間と距離を考えると、勝浦辺りまでは行けそうである。勝浦は聞いたことのある地名だったが、聞いたことがあるからといって、ネカフェがあるとは限らない。過去の失敗から学ぶ私は、念のため予め検索した。すると1軒、ローカル店ながらあることが分かった。宿も決まり、今度は外房を北上していく。

 

外房の道は、内房とかなり印象が異なる。内房は、カーブやアップダウンが激しく、景色が変化に富んでいた。対して外房は、平坦な道が続き、道幅も広く感じる。特に南側は、サーファーも少なく、「のどか」という言葉がよく当てはまる。東京湾ではなく、太平洋が広がっていることも、なんとなく広々と感じる要因かもしれない。

走りやすい道を順調に進んでいたが、鴨川の少し手前で、後輪が明らかにガタつき始めた。どうやらパンクらしい。

すぐに全く走れなくなってしまったが、マウンテンバイクだからと高をくくり、修理キットも持っていなかった。2日連続で自転車屋にお世話になることがめでたく確定した。

 

ところが、携帯で近くの自転車屋を検索しても、どうにもはっきりした情報が出てこない。幸い、近くに人家があったので、訊いてみることにする。

近所の人たちが集まっていたらしい。出てきてくれたおばちゃんに、近くに自転車屋がないか訊くと、奥に引っ込んだかと思いきや、おじちゃんおばちゃんが3,4人出てきた。

どうも近くに自転車屋はなく、鴨川にならあるということだった。鴨川まで、あと5kmくらいある。パンクしているので、後輪を持ち上げながら歩くことになる。ちょっとつらいな、と思った瞬間、豪気なおっちゃんが、軽トラで乗せていってやる、と言ってくれた。房総には良い人が多い。

 

おっちゃんは、10分くらいで知り合いが営んでいるという自転車屋に連れて行ってくれ、店主に悪態をついて帰っていった。東京土産でも持っていればよかったが、そんな物を持っているはずもなく、お礼の言葉しか言えなかった。

パンクは割とあっさりと直り、再出発する。

 

道中のトラブルもあり、勝浦に着いた時には、辺りが暗くなっていた。とりあえず、事前に調べていたネカフェに向かい、入店する。

かなり小さな店で、入った瞬間、ダーツをしていたにーちゃん6人組が、一斉にこちらを見た。かなりいかつい。

モヤシっ子である私は、ビビり散らしながらもフロントに向かう。が、ナイトパックが見当たらない。そこで店員から、衝撃の事実を告げられる。この店は2時に閉まるらしい。

 

とりあえず、他のネカフェや宿を調べないことには、どうしようもない。30分だけ入り、パソコンで検索していくことにする。

結果、朝まで営業している最寄りのネカフェは、35kmくらい先にあることが分かった。今から向かうと、22時を過ぎるかもしれない。なにより、12時間以上行動しており、疲れていた。できることなら、今日はもう動きたくない。

時間ギリギリまで粘り、近くの民宿5軒をピックアップした。夏休みシーズンの上、時間も遅い。期待薄だろうと思いつつ当たってみると、4軒目にして入れる宿が見つかり、飛びついた。

 

夕食の時間はもう過ぎていたため、余りもので良ければ、ということで2食付4000円だった。なぜか、民宿のオーナーと一緒に食事をした記憶がある。何を話したかははっきりと覚えていないが、「大学に入っていてえらい」というようなことを言われた気がする。

結果的には、この日はネカフェに泊まらなくて良かった。2日目にして移動距離が結構伸び、疲労が蓄積していた。シャワーではなく風呂に入り、フラットシートではなく布団で眠れたことで、翌日しっかりと動けるようになった。

 

 

 

なっっっっっっっげえなこれ!?

後半2日間は前半よりも事件は少ないけど、このままだと1万字を余裕で超えそうなので、前後編に分けることにします