はじめてのひとりたび 後編

■3日目(勝浦~旭) 130kmくらい

たっぷり10時間くらい眠り、朝8時頃に宿を発った。

前日に道を調べられなかったので、今日の目的地は未定。幸い、犬吠埼まではほぼ一直線なので、海沿いに北上していけば、まず迷わない。

 

引き続き、海沿いの平坦な道を進む。これまで、ほとんど寄り道をしてこなかったが、今日は目的地があった。いすみ市にある、麻雀博物館である。

中学で麻雀を覚え、大学に入ってからは、徹マン後に体育館のシャワーを浴び、そのまま講義に出るカス生活を送っていたわたくし、麻雀博物館なるものが千葉にあることを知り、いつか行きたいと思っていた。

昨晩、宿でふと思い出し検索したところ、ほぼ通り道と言える位置にあったため、せっかくなので行くことにした。

 

博物館に着いたのは、開館の30分前だった。既にかなり暑く、外で待つにはつらいものがあったが、迷いながらも結局待つことにした。

ようやく開館時間になり、受付を済ませる。受付のおばちゃんにどこから来たのか尋ねられ、東京と答えたらえらく驚かれた。そりゃそうだ

他に来場者もいなかったので、ゆっくりと見て回ることができた。豪奢な麻雀牌、世界初の自動卓、なぜか菅直人が作った点数計算機など、予想以上に展示品の幅が広く、楽しめた。

この博物館、残念ながら現在は閉館してしまったらしい。

 

博物館を出て、なおも北上する。銚子までは一本道のようで、「銚子 70km」という青看板を見て、若干気が削がれる。

あまりに平坦な道が続くので、1時間休まずにどのくらい進むかを調べてみたら、17kmだった。決して速い方ではない。実際は休み休み進んでいるので、13,14km/h程度だろう。

九十九里に着くと、さすがに海水浴場に訪れた人で、かなり賑やかになってくる。

サーフショップも増え、ヤシの木が生えている砂浜もあった。海外のリゾート地のようである。内房とは全く違う景色で、面白い。

 

夕方頃、銚子の手前で、急にアップダウンが激しくなった。海からの風も強くなり、100km近く走ってきた身としては、非常につらい。下った分だけ上るのは、プラマイゼロではない。勘弁してほしい。

なんとか長い上り坂を超え、犬吠埼に辿り着く。最南端と最東端を制覇し、あとは家に帰るだけである。

ここにきて、ようやく今夜の宿を調べ始める。銚子も昔からよく聞く地名だったが、有名だからといってネカフェがあると限らないということは、木更津で学んだ。はたして銚子にはやはりネカフェがなく、30km弱先にある旭市に見つかった。

来た道を戻ると、またアップダウンのきつい道を通ることになる。せっかくなので、もう少し北上して銚子駅に寄りつつ、旭市を目指すことにした。この選択が、またもや失敗となる。こいついつも失敗してるな?

 

銚子は、予想通り(?)あまり栄えておらず、のどかな港町という雰囲気だった。

ここから国道に出ればあとは一本道だが、この辺りの国道はもうだいぶ栄えてきていたので、あまり通りたくない。利根川沿いにもう少し北上すれば、県道を通って旭市まで出られそうなので、そのルートを採用。

県道に入る頃には、もう日が落ちて暗くなり始めていた。あまり遅くならないうちに着きたい。

 

県道を少し進んで、異変に気が付いた。街灯が1本もない。

木更津は街灯が少なかったが、こちらは完全にない。夜、街灯がない道に行くとどうなるだろうか。そう、暗いのである。

焦って先を急ぐが、辺りはみるみる暗くなり、次第に真っ暗になった。自転車のライトだけが頼りで、数m先は何も見えない。ごくたまに車が通ってホッとするが、一瞬で見えなくなってしまう。文明の利器は薄情だ。

 

真っ暗な道を走ること数十分、ようやく国道の明かりが遠くに見えてきた時、ちょっと泣きそうになった。

いまだにこの時のことがトラウマになっているのか、私は暗いところが苦手である。夜は国道を使うべきということを教えてくれた、ある意味貴重な体験だった。

ネカフェに入る前、少し背伸びをして、こじんまりとした洋食屋に入った。気のいいご夫婦が営んでいる店で、自転車で千葉を回っていることを告げると、アイスを出してくれた。千葉には良い人が多い。

 

■4日目(旭~23区の西の方) 100kmくらい

ここまで来たら、あとはもう本当に帰るだけだ。街灯がない道に迷い込もうと、日が高ければなにも怖くない。

 

ただ帰るのも味気なかったので、近くに寄れるところはないか探してみると、10kmほど遠回りになるが、佐倉市に行けることが分かった。佐倉に行こうと思ったのは、BUMP OF CHICKENのメンバーの出身地だからだ。

私世代の人間は、だいたい中学時代にBUMPかRADかEXILEを通ってきている。私も例に漏れずBUMPを聴いており、CDを全部揃えるくらいに好きだったのだが、ニワカだと思われるのも嫌だったので、好きなアーティストをビリージョエルだと答えていた時期もある。恥ずかしくて死にたい

ある歌の歌詞に、「湖の見えるタンポポ丘」という言葉が出てくる。その丘が、印旛沼の近くにある丘で、そこに行ってみようと思ったのである。湖じゃないとか言ってはいけない

 

近くの郵便局に自転車を停め、公園の中にある丘に登る。ところが、印旛沼らしきものが見当たらない。

地図で方角をよくよく確認してみると、それらしいものがわずかに見える。見える・・・見える?見えなくない・・・?みたいなレベルでわずかに見える。

タンポポは咲いていなかった。

 

そこからは本当にまっすぐ帰っただけだったが、なんと家まであと5分という所でまたもや事件が起こる。

車道には路上駐車をしている車が多かったため、私は歩道を走っていた。すると、脇道から出てきた自転車と思いっきりぶつかり、手首を盛大にひねった。骨折まではいかなかったが、炎症を起こし、2か月ほどまったくテニスができなくなった。

最後の最後に、自転車はいつも車道を走るべきということを学び、初の一人旅が終わった。

 

 

 

そんなこんなで、房総は思い出深い地域なのである。後にも先にも、ここまでいろいろある旅はなかった。

自転車という特殊な移動手段だったこともあるだろうし、ガラケーの不便さも、振り返ってみると様々な心に残るできごとのきっかけにもなった。スマホを持っていれば、木更津や勝浦で宿が見つからずに慌てることなどなかっただろうし、鴨川でパンクした時も自分で自転車屋を探し、歩いていたと思う。

帰宅し、そんなことに思いを馳せた。翌日、スマホを買いに行った。