旅行と旅の違いはなんだろな、という話

履歴書の趣味・特技欄を書く時、趣味を訊かれた時には、「旅行」と答える。あたりさわりのない回答だ。

相手が地方出身者なら、その地方の話で盛り上がることができるし、そうでなくても、旅行をしたことがない人はほとんどいない。相手が行ったことのある場所・行きたい場所の話をすれば、大体話をつなげることができる。

実際、旅行が好きだ。Google mapは行きたい場所のピンで日本が埋もれているし、20代前半で全都道府県に行ったというのは、まあ結構少ない方なんじゃないかと思う。ちなみに、最後の都道府県になったのは、なぜかベタな北海道だった。なんでや

 

でも、なんとなく昔から思っていることとして、「旅行は好き、旅はもっと好き」というものがある。ただ、趣味を訊かれて、旅、と答えるのはやらない。恥ずかしいから。

旅と旅行の違い、昔からぼんやりと考えてはいるし、なんとなくイメージはある。が、しっかりと考えたことはないし、いつも微妙な違和感を抱えていたので、せっかくなので文章にしてみる。

 

■自由度の違い

旅は旅行よりも、より自由なもの

というような話は、よく耳にする。

 

確かに、そんな印象は強い。

旅行は、予め目的地を決めて、そこに行くことを目的とするもの。旅は、決まっていることが少なく、その場その場で気ままに動くもの。

しっくりはくる。が、何か抜けている気がする。

 

私は、学生時代、友人と2人で西日本を、4泊5日で回ったことがある。事前にお互いの行きたいところをリストアップし、綿密な計画を(全て友人が)立てた。

あまりにも緻密な計画だったので、全て車中泊、片方が寝ている間は片方が運転し・・・というスケジュールだった。たすかる。

何を食べるかとか、風呂はどの温泉にするだとか、決まっていないことも多かったけど、それよりは圧倒的に「決まっていること」の方が多かった。それでも、あれははっきりと旅だったと思う。

 

この辺りが、旅と旅行の違いを考えたときに、いつも抱く違和感の原因なのだと思う。そこを考える前に、自由度にまつわる要素について、もう少し掘ってみる。

 

①目的地

「旅行は目的地が明確に決まっている」という話もよくあるが、私は、このアプローチは違うと思う。

目的地は、自由度の一要素でしかなく、それの有無で旅と旅行を分かつことはない。よって、目的地というよりは、スケジュールといった方が、より正確である。

 

どこそこの観光地に行き、何を食べ、○○に泊まり・・・という詳細な計画が、決まっていれば決まっているほど、旅行に近くなる。それはそうだと思う。

だがそれは、目的地が明確に決まっているからではなく、「『主な目的地に行く』以外の行動」がどのくらい取れるかが、自由度につながっているからだ。逆に言えば、自由行動がほとんどない、パッケージツアーや修学旅行は、はっきり旅行になる。

 

目的地が決まっていない旅など、ほとんどないと言ってよい。ふらっとどこかの地方に行き、気の向くままに進み、何日か滞在するというのは、紛れもなく旅ではある。だが、そういった、放浪のようなもののみを旅としてしまっては、旅と呼べるものはあまりに少なくなると思う。

 

②人数

人数が増えれば増えるほど旅行に近くなる。一人一人の意見が反映されにくくなるということは、自由から遠ざかることになるので、当然である。

仮に、全員のやりたいことが同じであっても、そこに至るまでは、何かしらの意思決定(話し合い)がある。それは、「気まま」という、旅の特性からは、遠くにあると思われる。

 

かなり感覚的な話にはなるが、人数は結構大きな要素だと思う。今までの経験上、4人以上で行ったものは、全て自分の中で「旅行」として分類されているように思う。

 

パッケージツアーに一人で参加することは、どちらになるのかという問題が浮上してきたが、そのような人を私は見たことがないので、深くは考えないことにする。もしいたらごめんなさい。

 

③予算

予算は、どこに行くかということはもちろん、特に何を食べるか、ということに影響する。

お金がなければ、好きなものを食べられず、自由度にはっきり影響していると言える。

 

だが、例外的にこれは、旅と旅行の境界には影響していないと思われる。お金がたくさんあるから旅、というのはいくらなんでも説明がつかない。

というか、せっかく来てるんだからお金にはケチケチせずにいような!マックでいいよじゃねんだ

 

■移動時間の違い

移動時間が心に残ること。

私は、これが結構大きな要素なんじゃないかと思っている。

 

後から振り返ってみた時に、移動時間のことが心に強く残っていれば、それはかなり旅に近付くと思う。

移動は、基本的には目的地に到着するための手段である。旅や旅行は、非日常の出来事である。

もし移動時間が心に残らないのであれば、それは、普段利用している交通機関と、大きな違いを見いだせていない。つまり、日常の延長線上にいるということになる。

こう書くと、非日常の時間に長くいるかどうかが、旅と旅行を分けているようにも思えるが、それもまた違う気がする。

 

移動時間が心に残るようにするためには、移動手段が特殊であればあるほど良い。青春18きっぷ、自転車、バイク、ローカルバス、ヒッチハイク・・・いくらでもある。

また、一般的な移動手段であっても、印象に残るケースはある。先に書いた、私の学生時代の車中泊旅は、過酷だったからこそ印象に残り、良い思い出になっている。初めて飛行機に乗った時などに、わくわくして心に残る、ということもあるはず。

 

なぜ移動時間が心に残ると、旅に近付くのか。明確な理由を、今の自分には出せない。日常・非日常の括りも違う気がする。

ただ、移動時間を、目的地までの必要経費と捉えるか、それ自体を大切なものとして捉えるかによって、変わるものがあると思う。たぶん。いわゆる旅情を感じるような。自分の中で固まってないのでふわっふわ

 

そういえば、移動手段は、自由度とも関係がある。

旅先で、ふと気になるものや、良い景色に出会った時、バイクや自転車ならすぐに止まることができるが、車だと「すぐに」というわけにはいかないこともあるし、電車や新幹線だとなおさら止まれない。

移動手段が、旅と旅行の境界そのものに与える影響の方が大きいけど、旅と旅行の境界に影響する「自由度」に与える影響も、少しあるみたいな、そんな感じ。

 

■国内・海外

私は、海外旅行よりも国内旅行の方が、より好きだ。その一番の要因は、やはり言語にあると思う。

一応、意思疎通が取れる程度には英語を話せるが、会話では頭をフル回転させないといけない程度のものでしかない。その時点でかなり疲れる。

交通機関を利用する時も、行先が間違っていないか、降車場所はどのくらい先か、といったことに気を回す必要がある。歩いている時ですら、目的地までの道があっているかを気にしながら歩く。

もちろん、常にそうしているわけではないし、周りの風景を楽しむ余裕はある。が、どこかしらで気を張っている。心の自由度が少ない、と思う。

 

だからこそ、夕食後なんかにホテルからプラッと出て、適当に散歩する時間が、結構好きなのだと思う。大体の方向が分かっていれば問題ないし、道を間違えたり、現在位置が分からなくなったりしても良い。こういう時間は、その場所の空気を、心から楽しめていると思う。

しかし、海外旅行では、意外とそうした時間が取れない。滅多にこない場所なので、できるだけ多くの観光名所を回るような、ギチギチのスケジュールになることが多いからである(貧乏性)。

 

文化や治安も違うので、場合によっては迂闊な行動を取れないこともある。気になる路地があっても、危険が潜んでいる可能性があると、立ち入れないかもしれない。

そういった面からも、「気まま」という旅の一側面からは、遠ざかっていると思う。

 

■テンプレートの旅行と、そこから逸脱する旅

「これがあるから旅!」みたいな、はっきりとした区分は、(少なくとも自分の中には)見つからない。

思うに、なにか旅行のテンプレートのようなものがあって、そこから逸脱するのが、旅なんじゃないだろうか。

 

旅行のテンプレートとは、これまたはっきりした何かがあるわけではなく、各々思い浮かべる「テンプレ的な旅行」があるのだと思う。新幹線でどこそこに行って、有名な寺社仏閣に行って、地の物を食べて、温泉に入って・・・というような。

そこから、これまで挙げたような要素が、少しずつ(あるいは大きく)テンプレと離れ、どこかで臨界点を迎えると、その人の中での「旅」になるんだと思う。

 

旅と旅行の、どちらが良いということはない。ただ、せっかく非日常の中に行くのだから、大きく日常から離れた方が楽しいと、私は感じる。

 

 

 

書いてて思ったけど、めちゃくちゃ抽象的だな!!!!!!!!!!

まあ抽象的なテーマだし、明確な結論が出ないのはある意味当然だけど、もう少し頭の中のイメージをアウトプットする能力を身に着けたい・・・

とりあえず、旅と旅行を決める要素が1つじゃないこと、人数と移動時間が、要素の中では影響力が強いことがなんとなく分かったのでヨシ!