会話はキャッチボールだということを学んだ話

人との会話は、よくキャッチボールに例えられる。

どちらか一方が話しているだけでは会話にならないので、お互いが適度に話す、あるいは交互に話すことで、会話が成り立つ。

そんな当たり前のことに気づいたのは、生まれてから20年も経ってからだった。

 

私は、中学校が地元から離れた場所にあったため、「小学校からの友達」がいなかった。当然、周りは知らない人間ばかりなわけだが、私は、友達の作り方というものが分からなかった。小学校では普通に友達がいたが、仲良くなった1年生の頃なんて覚えていないし、中学年・高学年になってからできた友達も、もともと仲良かった友達の輪から、徐々に広がったものだった。

要するに、仲が良い人がいる場所なら話せるが、誰も知らない場所だと人見知りをする人間だった。これは今でも割と克服できていない。誰もが互いのことを知らない場所なら積極的に話せるが、自分以外の全員がもともと知り合い、みたいな場だと、途端に気後れする。

 

そんなこんなで、中学2年の終わりまでは、ほとんど発言しない人間だった。正直自分自身、そうだったことがあまり信じられない。話しかけてくれる子はいたが、一度「学校で話さない」ことが身に沁みついてしまうと、なんと返せば良いのか分からなくなってしまっていた。

3年になると、割りあい普通に話すようになった。きっかけはよく覚えていない。2年の頃に、野球部のクラスメイトに妙に口なじみのよいあだ名を付けられ、野球部内で勝手に流行ったらしい。その頃から、校舎内でやたらとそのあだ名を呼ぶ野球部員がいた。

私は当時、「誰だコイツ」くらいに思っていたのだが、3年の時に同じクラスにその男がいた。話してみると、住んでいる駅が隣駅で、そんなことがきっかけで仲良くなったと思う。まあ、友達ができるきっかけなんてそんなものかな、と今振り返ってみると思う。

 

私は、中高大と内部進学だった。高校は内部進学が大半で、スタートからそんなに困ることはなかった。中学での反省を活かし、できるだけ自分から話しかけようと努力もしたが、結局、周りに知り合いが多いという安心感があったからこそだとも思う。

大学になると、さすがに外部入学の比率も増え、周りが知らない人だらけという状況もあったが、まあいい年にもなっていたので、自然と友達ができた。全員、周りが知らない人だらけなのだから、自分が過剰におびえる必要はない。

 

そんなわけで、「普通に会話ができる人間」としてなんとか成長してこられたが、1つ、自覚していなかった悪い癖があった。自分の気持ちを話すことが、できなかったのである。

中学生・高校生時代の会話なんて、ノリと勢いみたいなもので大体できている。冗談を言っておけば割となんとかなるし、日常のできごとを話しているだけで、会話は成り立つ。真面目な話をすることなんて、あまりなかった。

大学生になると、少しずつ、真面目な話や、自分の気持ち・考えを話す機会が増えてきた。高校生までは適当に冗談を返しておけば済んだところを、自分の考えを、自分の言葉でまとめて、話さなければいけなくなってくる。私はこれが、極端に苦手だった。

 

苦手だったのは、頭の中で考えていることを言葉にするまでに、ものすごく時間がかかったからだ。相手に伝わるようにするにはどんな言葉を選べばいいか、どんな順序で話せばいいか、そんなことを考えなければならず、実際に言葉に練り上げるまでに時間がかかっていた。黙って考え込む時間が長かったのだ。

それは、人見知りが芯から治っておらず、会話の在り方を理解できていなかったからだと思う。

今思うと、特に仲の良かった友人は、沈黙の時間が苦痛でない人だった。大学時代に付き合っていた人も、私から見ると、沈黙が続いても気まずくならない人だった。が、彼女にとってはそうではなかったらしい。

 

別れ話をした時、「何を考えているか分からない」と言われた。

中学時代の人見知りを克服し、冗談をペラペラ喋れるようになり、問題なく人と話せる人間だと自分で思っていた私は、いたく驚いた。

いわく、「しばらく考え込んだ後、『まあいいや』と言って話をしない」らしい。冗談や適当なことは話すくせに、肝心なところは見えてこないそうだ。言われてみると、心当たりがあるような気もする。

自分の気持ちを話すのが苦手な理由は、上で述べた通り、頭の中でごちゃごちゃ考えすぎるからだ。ごちゃごちゃ考えた結果、うまくまとまらずに面倒になって、「まあいいや」につながるのだろう。相手からしてみれば、黙った挙句に何も言わない、意味不明なやつだ。

 

考えたことを言葉にするのが苦手な自覚は、うっすらとあった。苦手な理由を、言葉を探しながらたどたどしく伝えると、「言葉が足りなければ、相手が質問してくれる」と言われた。

今となっては当たり前の話だと思えるが、当時の私は本当に理解できていなかった。目から鱗が落ちる思いだった。

会話はキャッチボールなのだから、自分の手の中でいくらこねくり回しても、結局投げないのなら仕方ない。相手が捕りにくい球を投げてしまったからといって、それがなんだと言うのか。ちょっと捕りにくいくらいなら捕ってくれるし、捕れなければ文句を言いながらも拾いに行ってくれるはずだ。自分が拾いに行ってもいい。

 

そんなことを、20歳にしてようやく知った。彼女を失ったが、貴重な教訓として、今に活かされていると思う。なにかを学ぶためには、なにかを失わなければならないのか、この時もっと大切なことを併せて学んでおけば、より大きな喪失は起きなかったことを、今後知ることになる。が、それはまた別の話。

 

なお、私が自分の気持ちを話さないから別れたかのように書いているが、原因は彼女の浮気だった。