傲慢と善良

kindleで本を読み終えた時、おすすめの本が表示される機能がある。

湊かなえの「白ゆき姫殺人事件」を読み終えた時、この本が表示された。

かがみの孤城」で有名な辻村深月の作品で、前に本屋で「人生で一番刺さった小説」というPOPを見かけて気になっていた。

たまには他の人の本を読んでみるのもいいかな、と思って買ったこの小説、たしかにバチクソに刺さってしまった。

 

婚活を通して知り合った2人がいよいよ結婚するという時、女性が失踪してしまう。

女性は以前からストーカー被害に遭っており、失踪にはその存在が関わっているだろう、ということで消息を追うというストーリー。

ストーリー自体も面白いが、随所に表れる、人の持つ傲慢さと善良さへの解像度の高さが、あまりにも強い力で引き込んできて、同時に自分自身を顧みずにいられなかった。

 

 

主題は婚活と恋愛、ひいては誰かを選ぶこと・選ばれることにある。

「皆さん、謙虚だし、自己評価が低い一方で、自己愛の方はとても強いんです」

結婚相談所を営む女性のセリフだが、こんなにも的確に現代の人を表す言葉があるのかと思う。

自己評価が低いのに自己愛が強いことを「傲慢」、周りの言うことに従って生きてきた結果、自分の意思を持たないことを「善良」と彼女は呼ぶ。

昔のイギリスの小説である「高慢と偏見」から取った話だそうだ。

 

傷つきたくない、変わりたくない、ありのままの自分で愛されたいというのは、この本でも指摘されている自己愛だ。

謙遜が美徳とされる風潮もあって、(表向きは、という場合も含めて)自己評価は低い。

自分は取るに足らないダメダメな人間だけど、人並みの幸せは得たい。そんな人をこの本は「傲慢だ」と言う。残酷。残酷だが、真理でもある。

 

私は過ぎた謙遜は不遜だと考えているので、自己評価は決して低くはないと思う。

だが、自己愛はしっかりと存在する。多かれ少なかれ、自己愛のない人間はいないだろう。この本に言わせれば、高慢な人間になるのかもしれない。

一方で、自己評価の低い人間が自己愛を強く持つのは、ある意味必然とも言える。

自己評価は他者からの評価の跳ね返りでもある。他者から評価されず愛されなければ、自己愛を肥大させるしか方法がない。自己愛すら持たなければ、その人は潰れるだろう。

自分を守るために、自己愛を強く持つしかない。

 

評価されるため、愛されるために、自分を変革するという道もある。健康的な道はそちらなのだろう。

だが、肥大化した自己愛はそれを許さない。ありのままで愛されない自分を変えるのではなく、ありのままの自分を愛してくれる人を探すのだと思う。

自分を変えることは自己愛の否定になる。「ありのままの自分は愛されるに足る」と考えることは、ある種自己評価の高まりにもつながる。

 

だが、社会的なステータスや社交性など、いわゆる言葉通りの自己評価に直結するものはそのままだ。

ステータスに由来する自己評価は低いまま、自覚しているにせよしていないにせよ、自己愛に由来する自己評価は高まる。結果、根拠のない、自信とも言えない、それこそ傲慢さが身についていくのだろう。

それを、結婚相談所の彼女は「自分につける値段」と表現する。ささやかな幸せだけを望むと言いながら、自分につける値段は相当高いと言う。残酷…

 

善良な人については、なおタチが悪い。自分を変えることに行き着けたとしても、変え方が分からないのである。

今まで周りの人に従って生きてきたため、自分をどう変えればよいのか分からない。変えたいという意思もない。

人に逆らわない善良さを持ちながら、一方で自己愛だけは肥大していく。この本では婚活がうまくいかない人に対して用いられていた言葉だが、特に自己評価と自己愛については、思い当たる節がある人が多いと思う。

 

それほどまでに、人間というものを細かく分析し、的確な言葉で表現している。

自己愛などは、人には見せずに自分だけが思っているものだ。

ひた隠しにしているものを、登場人物のフィルターを通して、目の前に突きつけられる。自分に言われているようで、ナイフで抉られている気分になる。

小説では、登場人物に自分を重ねることがしばしばあるが、この本はその濃度が段違いだった。こんな言葉が、節々に登場してくる。つらい。

 

 

私は善良な人間でもなければ、自己評価が低すぎるということもないだろう。誰しも自己愛はあるもの、というある種の開き直りもある。

それでも、自己愛についての指摘は身につまされるものがあったし、なにより、さらに刺さった言葉があった。

「みんな、自分のパラメーターの中のいい部分でしか勝負しないんだよ」というセリフだ。

 

自己評価が低くとも自己愛が強く、理想が高い。相手のステータスが自分より高くても、ピンとこない、自分の価値はもっと高いとして、相手を選ばない。その理由が、このセリフで表されている。

自分のことは棚に上げて、「この人はここがダメだ」と相手を見積もる。自分のダメな部分からは目を背ける。覚えがある。

自分から目を背けるのは、自己愛の裏返しだろう。

 

自分の劣っている部分を自覚し、相手から選んでもらえたことに感謝する。人間関係すべては、それでうまくいくのかもしれない。

だが、自己愛を捨て去ることはあまりにも難しい。過去の自分への執着もある。

おそらく大切なのは、自己愛を強く持ち過ぎないこと、あるいは自己愛よりも他者に対する愛を強く持つことなのだと思う。

ある程度の自己愛を持ちながらも、傷つくことや自分を変えることを避けずに生きていくことが、唯一自分にできることなのかもな、と思い至る読書だった。