「お姉さんによしよしされたい」に内包される、現代社会の問題と人間関係に悩む現代人の思考過程

「お姉さんによしよしされたい」

つらいことがあった時、理不尽な状況に立たされた時、疲れ果てた時。人はお姉さんを思い、祈る。その祈りは届かない。

 

私には実在する姉がいるが、それでもお姉さんによしよしされたいと思うことはある。

それがなぜなのか、数日前に問われたため、検討した過程を以下に記す。

 

 

1.よしよしされることで得られる効果

よしよしされることで得られる効果は、よしよしされたいと思った原因と密接に結びつくため、1つに定義することは難しい。

しかし、原因は冒頭に挙げた通りであるとおおよそ考えられるため、自分は悪くないと認めてもらう、あるいは不安を全て取り除いてもらう、といった効果が期待できると設定する。

ここから連想されるワードは、自己肯定感・承認欲求・母性などだろうか。

 

よしよしされたいと思うことがない人でも、愚痴を聞いてもらいたいだとか、自分を全肯定されたいという気持ちを抱えることはある。

それすらない人は、理不尽な状況に陥ったことがない人か、極端に自己肯定感が高い人かのいずれかである。

 

よしよしされたい人と、よしよしされなくても大丈夫な人。この差はどこで生まれるのかに着目して次項に移る。

 

 

2.お姉さんの非実在

「よしよしされたい」という言葉は、逆説的に、「よしよしされたいが、よしよししてくれるお姉さんはいない」という、お姉さんの非実在を内包する。

言ってしまえば、自分にとって究極的に都合の良い存在とすることもできるということだ。たとえ自分が悪いような状況であったとしても、非実在のお姉さんは、よしよししてくれるのである。

いわば全肯定botであるお姉さんを心の中に置いているわけだが、実はこのお姉さんは実在してはいけないという事実に、私はたどり着いた。

 

「よしよしされたい」が、「よしよししてくれるような心優しいお姉さんが身近にいない」というそのままの意味を含むのは既に述べた通りだが、前項の内容を踏まえると、もう1つ大きなファクターが見えてくる。

つまり、愚痴を言える人がいないということだ。

さらに分析するならば、①愚痴を言えるような親しい友人がいない、②親しい友人はいるが、愚痴は言えない という、2つの類型に分けることができる。私は①と②両方に当てはまる。①∩②である。ちなみに、②に当てはまるなら①に当てはまる必要はない。

そして、「よしよしされたい」と思う人は、後者に当てはまる人が多いと、私は考える。

 

自分が抱える愚痴を相手に話してよいか分からない、愚痴を聞いたら相手は不快な思いをするかもしれない、自分が間違っていると相手から言われるかもしれない。さまざまな思いが交錯して、身近な人に愚痴るということができない。

要素として大きいのは、相手に対する遠慮である。そしてそれは当然、相手が実在しているからこそ生まれる遠慮だ。

お姉さんが実在していたらどうなるだろうか。もしお姉さんが100%自分を肯定してくれるとしても、お姉さんが内心どう思っているか、自分の愚痴を聞くのを嫌がっていないかが気になってしまい、愚痴ることができないのではないだろうか。

 

ゆえに、お姉さんは実在してはいけないのである。非実在の存在に対して、遠慮をすることなどない。

お姉さんは心の中に在り、自分を全肯定してくれる。完全な自己完結ができる構造がなりたっているが、それでも人は「お姉さんによしよしされたい」という発言をする。

本来、自分の中で完全に満たされるのであれば、わざわざ発言する必要がないにもかかわらず、である。

 

 

3.「よしよしされたい」という感情の発露から見える、現代人のSOS

以上のことを踏まえると、「よしよしされたい」は、「愚痴を聞いてほしい」という枕詞的な役割を持っているとも言える。

いくらお姉さんを心の中で精巧に作り上げたとしても、結局のところ、人は人に認められたいのかもしれない。お姉さんは人であり、人ではないのだ。

 

「お姉さんによしよしされたい」という言葉は、「私はつらい目に遭いました」という言葉と、おおよそ似た意味を持つ。

言葉にならないSOSをキャッチした人は、どのような行動をとればよいのだろうか。

 

愚痴を言いたいことを察知して、愚痴の相手になりに行こうとする人は、心優しいが正しくない人だ。

なぜなら、「お姉さんによしよしされたい」人は、実在する人に愚痴を言うということに遠慮してしまうからだ。全肯定という究極の癒しを求めているのに、遠慮などしてしまうと、ますます精神が疲弊してしまう。

 

ではどうすればよいのか。答えは簡単だ。よしよしすればよいのである。

自分がお姉さんでないことを自覚している人は大勢いるだろうが、「よしよしされたい」と言っている人も、お姉さんが実在しないことなど百も承知なのである。

そのうえで、「よしよし」という、非常に簡素ながら、自分を認める言葉を求めているのだ。

 

 

どうか、「お姉さんによしよしされたい」と発言している人をTwitterで見かけたら、たった一言、「よしよし」とリプライを送ってあげて欲しい。それだけで救われる命があるかもしれない。

「よしよし」が大量発生する地獄のTLにしたくないので僕はやりません