好きなものはなぜ好きなのか

自分はココアが好きだが、強い愛を持って人に話すと、「なんでそんなに好きなの?」と訊かれることがそれなりにある。

好きなものに理由なんてない、というのが正直なところだが、84文字目にして記事を終わらせるのはあまりに忍びないので、好きなものを好きな理由について、考えてみたい。

 

 

好きという気持ちは、物だけでなく、人に対しても使われるものだ。

人の場合は分かりやすい。この人のこんなところが好き、というのは、好きな人がいるなら簡単に挙げることができるだろう。

とは書きつつも、私は人を好きになる時、「一緒にいて心地良いかどうか」という点を重視することが多い。

 

心地良いというのも結局感情なので、それを説明するのは難しい。どういう時に心地良いと感じるのか、突き詰めていくと要素は生まれてくるので、もう少し具体性を持つのかもしれない。

とはいえ、その人の持つ、自分の好きな要素を全部挙げたとしても、それはその人を好きな理由の全てにはなり得ないとも思う。

それらの要素を全て持つ他の人がいたとして、ではその人でもよいのか?おそらくそうではない。

なにかしら、説明のつかない部分があるのだと思うし、そういうものがあった方が、なんとなく美しいと思う。よくわからんけど。

 

 

さて、物に対して考えてみると、ざっくり2つに分かれていることが見える。

例えば趣味などは、好きな理由を挙げるのは比較的容易いだろう。対して、食べ物や色などは、理由を挙げにくい。

その理由は、「より感情に近いかどうか」というところにあるように思う。

 

私の趣味はスポーツや旅行だ。

スポーツは、頭を空っぽにする感覚が心地良いと感じるし、汗をかくことも気持ちが良い。

旅行は、自分の見たことのない景色を見ることができるかもしれないという期待でワクワクするし、宿でのんびりするなどの非日常を味わえる。

 

私は冒頭に書いたようにココアが好きだし、好きな色は紫だ。

ココアは美味しいから好きだし、紫はきれいだから好きだ。具体性もなにもあったものではない。

なぜ美味しいと感じるか、なぜきれいと感じると訊かれても、私の味蕾や網膜がそのように機能するから、としか言いようがない。正確には脳な気がするけどどうでもいいわ!

 

この2つの隔たりは、やはり感情にあると思う。

スポーツや旅行の場合、「心地良い」「ワクワクする」といった感情が、それらのアクティビティを好きな要素として、複数登場する。

対して、ココアや紫は、それぞれ「美味しい」「きれい」という、1つの感情によってのみ説明される。

その違いを、ここでは感情に近いかどうかと表現したが、正しいかは分からない。感情の数とも言えるのかも。

 

ちなみに、人に対する好きも、構成する感情は多い。

こんな仕草にドキッとする、こういう時愛おしく思う、一緒にこれをしている時が楽しい。さまざまあるだろう。

それを「感情から遠い」と表現するのはどうなの?って気がしてきたけどまあいいや!

 

 

感情に近い「好き」をどう表現するか、あるいは説得力を持たせるか。大きく2つのアプローチがあると思う。

1つは好きになったきっかけに置き換えること、もう1つは他の感情と結びつけることだ。

 

好きになったきっかけに置き換えることは、「なぜ好きか」を「なぜ好きになったのか」に置き換えることだ。

正確には、それを好きである理由を表しているとは言えない。

私が本格的にココアを好きになったのは、中学生の頃にもらったココアが美味しかったからだが、結局のところ、「美味しくて好きだから」以上の説明はできていないのである。

とはいえ、きっかけを語ることは、それを好きである熱量の根拠になる。そうした意味で、説得力を増すことができるのだろう。

こういう部分が好き、という説明ができれば、もう少し説得力は増すだろうが、美味しいという感情はかなり原始的な感情であるため、説明できないことも多い。

 

他の感情に結びつけることは、上の例で挙げたような、趣味などに対する「好き」を説明する時のアプローチと同じである。

ココアを飲むと気分が落ち着き、ぐっすり眠ることができる。店のココアは、生クリームやホイップクリームが浮かんでいることも多く、贅沢な気分になれる。

ココアを飲むとよい気分になる。そこには「美味しい」とは別の感情が表れていると言えるため、なぜ好きなのかを雄弁に語るかもしれない。

しかし、である。上に書いた通り、私がココアを好きなのは、単に美味しいからだ。

この方法で熱量が伝わったとしても、そこには誤解が含まれている。

 

ココア?健康にいいから飲んでるよ〜ミロとか!

こう言われても、私は微妙な気持ちになるのである。

美味しいからココアを飲む、という人と握手したいのである。

あとミロはココアじゃなくて麦芽飲料だ二度と間違えるな

 

 

急に脱線したしまとまりがなくなってきたので雑に締めるが、好きなものを理由づけするのは、やはり難しいことも多い。

とはいえ、好きなものを好きな理由を、明確な言葉にすること、しようとすることには意味があると思う。

漠然と好き、と言われ続けるよりも、こういうところが好き、という言葉を言われることの方が、安心できるものはあるだろう。

それは人に対してはもちろん、物に対しても同じだ。ココアも紫も、こういうところが好き、と伝えてあげないと、不安になってしまうかもしれない。

 

タイトルに戻って、好きなものはなぜ好きなのか考えて見ると、言葉で表せる部分と、そうでない部分があることが分かる。

全てを説明しようとするのも野暮だし、説明しないからこそ良い部分もおそらくある。思うに、それが熱量と呼ばれるものなのだと思う。あるいは、理性と感情か。

言葉にすることも、そうでないことも大切にするとよいのだろうなあと思った(KONAMI