たまに、松岡修造の動画を観る。よくネタにされがちだが、言っていることはポジティブで、稚拙な表現をすると、自分を奮い立たせてくれる。
氏の発言に、「夢持ってないんだったら、生きてる意味ないじゃんか」というものがある。
夢に向かって努力を重ね、実際に結果を出した人だからこそ刺さるものもある。
自分は幸いなのか、仕事で夢があるタイプの人間だが、そうでない人の方が多いのは分かっている。
少なくとも、社会に出るまでにやりたい仕事を見つけろというのはまあ無茶な話で、大体の人が、なんとなく性格や得意なことに合ってそうな企業を、条件が良い順に探すのではないだろうか。
そもそも、夢があろうとなかなろうと、自分が希望する企業に入れるかも分からないし、入ったとしても、自分が希望する部署に配属されるかも分からない。
結果、楽しくもない仕事を続け、休日の後半は、翌日が仕事であることで憂鬱になる生活を送る人も少なくない。
夢がないことは不幸なことなのか?
たまに、夢と仕事は結びつかなければいけないと考えている人に遭遇する。夢=仕事で成し遂げたいこと、と考えている人のことだ。
自分は、仕事でやりたいことがないことを不幸だとは思わない。が、仕事でやりたいことがないことを、自分には夢がないと思ってしまうのは、少し不幸な気がする。
多くの人は、人生の大半を仕事を費やすことになるので、好きなことや、やりたいことを仕事にできるなら、それに越したことはないと思う。
しかし、仕事を死んだ魚の目でやり過ごし、趣味を楽しむ人生の何がいけないのか。
人生において何に重きを置くかは、その人の自由で、他人に左右されるものではない。
私は人と飲んでいる時、その人の夢と、死ぬまでにこれだけはやりたいと思うものを訊くことがある。
面白いのが、夢はないという人でも、死ぬまでにやりたいことは何かしら出てくることが多い。
夢というと仕事で成したいこと、と考える人が結構多いらしい。
私が仕事で成したいことはココアの店を開くことだが、死ぬまでにやりたいことは、燃費の良い車で日本一周することだ。微妙にセコい夢である。
たとえば趣味を楽しみ続けることを、人生の目標、あるいは夢にするのも良いと思う。人生を捧げられるほどの趣味に出会えたことは、天職を得たことと、同じくらい素晴らしいことだと思う。
ただ、趣味に情熱を注げなくなった時、人生の目標を見失ってしまうかもしれない。
だからこそ、「楽しみ続ける」という身近な夢ではなく、時間が立たないと成せないことを、何か一つ目標に据えてみると、幾分人生は生きやすくなるのではないのだろうか。
その目標が、お金を必要とするものであれば、仕事がつらくても日々を乗り切れるのだと思う。
就職するまでにやりたい仕事を見つけるのは困難だが、人生でやりたいことが見つかれば、そのために就くべき職・就きたい職も少しずつ見えてくるのだろう。
人生でやりたい夢がないなら、とりあえず趣味を楽しみながら、それを探していくのでも良いのかもしれない。
全くやりたいことがないと、ふと何のために生きているのか自問した時に、袋小路に迷い込みやすいらしい。
「踊る阿呆に見る阿呆、どうせ阿呆なら踊らにゃ損損」という言葉がある。
どうせ働くなら楽しんだ方がより良いとは思う。思うが、楽しめなくてもなんら問題はない。生きるために働くのは確かだが、働くために生きているわけではない。
自分の人生なのだから、どんな夢を据えようが自分の自由だ。
人からすればくだらない夢でも、何かしら置いておけば、日々に張り合いが出てオトクかもな、と思い当たったここ数日だった。