感情のコントロールと放出と

人に注意すること、感情をぶつけることが上手にできない。

 

数日前に、初代ぷよの方でやらかしたことがある。

ここで顛末を詳しく書くことも、謝罪を述べることも場違いだと思うので、詳しくは書かない。もうひとつのブログにわざわざ書かないのも、当然考えあってのものではある。

簡単に言うと、自分が主催していたにもかかわらず、良くない状況を放置して垂れ流してしまった。

 

主催という立場上、絶対にすぐ止めないといけない状況だったが、そもそも、主催じゃなかったとしても、あの場にいたなら、人として止めるべきだったという話である。

なぜ自分は、まずい状況だと認識していたにもかかわらず、すぐに止めなかったのか?コミュ障か???

 

自分は、あの状況にうんざりして、数分間発言を放棄するという行動を取った。

この行動が主催として論外という話は置いておくとして、ああいう行動を取ってしまう理由は、呆れて発言したくないというもの以外に、もう一つあると思う。

それが、冒頭の「人に注意できない」ということにある。特に、今回は感情が関わってきたので、すぐに対処できなかったのだろう。

 

自分は、怒りを覚えた時、人にぶつけるよりも前に、「自分が怒っていることは本当に正しいのか」ということが気になる。

感情をぶつけるということは、言い方をどうするにせよ、根拠が自分の感情にある以上、正当性がないと角が立ちやすい。

気分が良くないけど、この程度で気分を害する自分がおかしいのか?ということ。

特に、その場にいる人が多ければ多いほど、自分が間違っている気がしてくる。

考える結果、行動するタイミングを逸する。

 

で、考えた結果、自分は正しいことに気がつくわけだけど、この時点で、「発言がまずいことくらい分かれよ」と、別の怒り(別か?)が沸いてくる。

自分は元々感情の起伏がかなり激しく、社会に適合するために、感情を抑えることを身につけた。結果、感情の出し方がよく分からなくなった。なお社会に適合もできていない。

強い怒り・不快感を感じた結果、迂闊に放出するとまずそうだ、ということに思い当たる。

放出することが怖くなったので、いじけて黙った。子供か???????

 

いい大人なんだから、角が立たない言い方くらいできてほしいものだ。

いや実際できるとも思うけど、それを怖がったことに大きな原因があるんだろう。

また同じ轍を踏まないように、自戒として残しておく。