いつまで経っても自分の中でまとまってくれないので書く。本当にチラ裏だし、明るい話ではない。自分の中の澱みを、上澄みだけ掬って何度も濾して、それでもまだ濁った。

自分のせいで、好きだった人であり大切な友人であった人を失った話。

こういう話は通常、個人が特定されない程度にボカして書くものだが、まあこんな場末も場末のブログに知り合いが来るとも思えないので、知り合いが見れば分かるような内容にはなると思う。

 

 

 

彼女と出会ったのは、自分が14歳、向こうが17歳の時だった。スマブラXが発売して間もない頃、千葉で開かれたオフ会に参加し、そこで出会った。

当時の私はスマブラ勢で、親に黙って、中学生ながらオフ会などに参加していた。今でこそオンライン対戦も快適にできるスマブラだが、以前はラグがひどく、「ガチでやるならオフライン」という風潮がはっきりと存在していた。

大人気ゲームだけに、関東でも頻繁にオフ会が開かれており、そのいずれも、誰かの家が会場だった。自分も色々な所に顔を出してはいたが、乗り換えが少なく行けることや、雰囲気が気に入っていたこともあり、とりわけその千葉の人の家に遊びに行っていた。

 

第一印象から可愛い人だとは思っていたが、当時の自分は、3歳年上の人に恋をするには、あまりに鼻たれ小僧だった。実際、学生時代の年齢差というのは、社会人になってからのそれより、はるかに大きく感じるものだと思う。

そんなわけで、恋愛感情は一切なく、あったとしても、年上のお姉さんに感じる憧れのようななにかだったのだろう。家主と彼女が付き合っていることを後から知った時も、ショックを受けることは全くなかった。ただ、ことあるごとに私の頭をクシャクシャにして撫でてくることが、なんとなく好きだったのは覚えている。

 

私と彼女は、その家主をはじめとする有志による大会の、運営スタッフでもあった。私は当日の雑務を、彼女は名札の絵を担当していた。自分は絵の良し悪しが分からないが、界隈でもトップクラスに絵が上手いのだということだけは分かっていたと思う。

初めてその家のオフ会に参加してから1年弱、家主が越すことになり、その家のオフ会は終わった。寂しさはあったが、主に参加していた面々は、他に開かれていたオフ会に参加するようになった。

 

そんなこんなで彼女と顔をあわせる機会もあったが、彼女も大学生になり忙しくなったのか、段々と彼女はオフ会や大会に参加しないようになってきた。大会も、回を重ねるごとに主催が変わっていき、次第に運営スタッフも人が入れ替わっていった。

私は割と後期まで残っていたが、ある回から新規の絵は別の人に依頼されるようになり、なんとなく寂しさを感じたような気がする。

彼女と最後に会ったのがいつだったか、自分がスマブラ界を離れたのがいつだったか、はっきりと覚えていない。

ただ、私が大会運営からフェードアウトしたのは、大学生になり、バイトや遊びで忙しくなった頃だったと記憶している。

 

 

 

すっかりスマ界から離れ、人並みに遊びや恋愛、勉強を経験していた大学3年生の初夏、仲の良い友人が、付き合っていた彼女と別れ、えらく落ち込んでいた。

私は私で、前の彼女に浮気され天皇誕生日に別れるなど、なかなか心に来る事件を経ていたが、さすがに半年も経っており、傷は癒えていた。いっちょ誰か紹介してやるか!という流れになり、ふと彼女のことを思い出し、連絡を取ってみた。

彼女が、私の住む所とほど近い場所で一人暮らしをしていることが分かり、3人で飲む約束がすんなりと決まった。

 

およそ3年ぶりにあった彼女は、驚くほど変わっていなかった。変わったのは、お互いタバコを吸うようになっていたことくらいだろうか。

社会人になった彼女は、持ち前の絵を活かし、フリーランスで働いていた。傍ら、同人サークルでも活動しており、秋に長野県で開かれるイベントにも参加するという話だった。

彼女が同人で扱うゲームが好きな私の友人は、彼女とも意気投合していたように思う。私はそのゲームの知識がほぼゼロだが、私も私の友人も旅行好きだったこともあり、サークルで原作を務めるスマ勢も含め、4人で旅行を兼ねて長野のイベントに行くことが決まった。

 

旅行自体は楽しく過ごしたが、帰り間際、原作担当の人が、思ったよりも遠方に住んでいることが分かった。私は特に気にせず、車で家まで送っていくと申し出たが、彼女がその人に怒り出した。いわく、はっきりと「送ってくれ」と言わずに、年下の私から送っていくことを申し出るように仕向けているようで、ずるいとのことだった。

私は、送ることについては何も気にしていなかったので、とりあえず場を収めて、円満に別れた。

とはいえ、これまで彼女の怒った姿を見たことがなかったため、意外な一面を見たようではっとした。嫌なことを嫌だとはっきりと言う。それだけのことではあるが、なかなかできることではない。

 

ともあれ、この旅行を皮切りに、私と友人、彼女の3人で頻繁に飲み、旅行に行くようになる。彼女も酒好き、旅行好きで、3人で話すことは何でも楽しかったし、3人で行くところはどこでも面白かった。

 

 

 

はっきりとした恋心を自覚したのは、再会してから1年弱、春に旅行に行った時だった。

夜に宿で話していた時、絵を描くことが好きじゃないという話をされた。他にできることがないから、絵を描いているそうだった。

素人目に見てもそこらの人よりはるかに魅力的な絵を描き、Twitterのフォロワーも数万を数える彼女でも、そんなことがあるものなのか。

とはいえ、そのあたりの感覚は、絵を描いていない私には分からない。ただ単純に、今まで彼女が見せたことのなかった弱みに心配になり、よく彼女のことを考えるようになった。そして、気が付くと自覚できるほど好きになっていた。お人よしでチョロい私は、秘密や悩みを打ち明けられたり、頼りにされたりすると、すぐ人を好きになる。我ながら単純な生き物だと思う。もちろん、彼女自身が魅力的な人だったというのは、間違いないのだけれど。

 

さて、自分の気持ちに進展があったものの、飲む時・遊ぶ時はいつも3人だったので、サシで飲んだことすらなかった。そんな状態で関係を発展させられるはずもなく、精神的童貞を引きずって生きていた私は、心臓をバクバクさせながらも彼女を誘い、その後は2人で飲むことも多くなった。

サシ飲みというのは、グループで飲む時よりも、真面目な話になりやすいと思う。もちろん、冗談を言い合うこともあるが、真面目な話をして、彼女の考えに触れることが多くなった。朝まで居酒屋やカラオケで飲み明かすことも、別れる前に彼女の家の前でタバコを吸うことも、彼女のことを知っていくのも、すべてが楽しく、ますます惚れ込んでいった。こんなに気の合う人はいないと思った。

 

 

 

いつもの3人で飲んでいたある日、3,4軒飲み歩いて既に大分酔っていた私は、彼女に「もっと自信を持った方がいい」と言ったらしい。

旅行中に、絵が好きではないことを話されたことがきっかけで、元気づけようという気持ちからのものだったはずだが、なにを偉そうに、という話である。そもそも、自分に自信を持つことと、絵が好きじゃないことは、別の話だというのに。

 

その場での彼女の反応は覚えていないが、また後日に3人で飲んだ時、それなりにしっかりと怒られた。

彼女の中で決して少なくない割合を占めるであろう絵のことについて、何も知らない外野がやいのやいの言うことは良くないことなのだと、学んだ。はずだった。

 

 

 

3人でよく遊んでいた私の友人には、私が彼女に惚れていることを話していた。もともとその友人に彼女を紹介するはずだったのに、私が惚れているのではおかしな話だが、友人は応援してくれていた。

 

ある日、私が別口で飲んでいた時、その友人から、女性の手と酒が写った写真が送られてきた。私はデートを茶化した返信を送り、特に気に留めなかったが、その後、今度は彼女の方から、居酒屋の写真が送られてきた。

どうやら2人で飲んでいるらしかったが、合流しろと言ったり帰ると言ったり、めんどくさいやり取りを続けられ、正直辟易とした。私も別で飲んでいることは伝えており、合流するかどうかで話が変わるし、飲んでいる時に携帯をいじり続けるのも好きではない。なにより、誘われていない場でおもちゃにされているようで、気分が悪かった。

私の友人にしても、2人で飲みに行くのは勝手だし私が怒る道理もないが、私が彼女のことを好きなことを知っている以上、わざわざ2人で飲んでいることを、しかも思わせぶりな形で言ってこなくてもよさそうなものである。

 

結局、その日は合流せず、後日なにかの折で連絡した時に、誘われていないところでからかわれるのは嫌いだと告げた。

彼女はそれに対して謝ったが、同時に私に対しても怒ってきた。心当たりがなかったが、聞くと私がTwitterに「思い出しムカつきをした」というようなことを書いたことがカチンときたらしい。

私が書いたのはそのことについてではなく、バイトか何かの嫌な出来事についてだったが、彼女いわく、「嫌なことについてTwitterでわざわざ書くこと」自体が好きじゃないとのことだった。

Twitterなんてチラシの裏のようなものだから、書く内容も何でもいいと思っていた私だが、人から見える所にわざわざ嫌なものを置くことを嫌う気持ちも、分からないでもない。

 

自分が怒らないことでも、相手が怒ったのなら、真剣に謝った方がいい。人にされたら嫌なことを人にもしないのは当然だが、思わぬところで人を怒らせてしまった時は、相手の感性を否定するのではなく、まずは自分が真摯に謝るべきだ。相手の感情は、自分の尺度で決めるものではなく、相手の尺度で、相手が決めるものだからだ。

そのうえで、怒った側も、相手が謝るのなら一度は許すべきだと思う。自分が怒るポイントが、人と違っていたとしたら、相手が自分を怒らせたのも、悪意あってのことではないことがほとんどになる。

もちろん、100人いたら100人が怒るようなことをされたら許さなくてもいいとは思うが、人の感情、特に怒るポイントは、人によってさまざまだと思う。

 

閑話休題

私が怒ったポイントも、彼女が怒ったポイントも、人によってはまったく気にしないことなのかもしれない。ともあれ、その場はお互いが謝り、水に流して終わった。

若干気まずい雰囲気にもなりかけたが、最後は彼女がサッと流してくれたおかげで、引きずらずに済んだ。そういう気を遣えるところも、好きだったのだと思う。

 

 

 

そんなこんなで夏、私は彼女に告白した。結果は保留。

 

1か月が過ぎた頃、2人で飲むことになった。彼女の誕生日が近かったこともあり、私のバイト先を飲む場所に決定し、サプライズプレゼントを用意した。

協力してくれたバイト先の友人には、かつて私が告白し、振られた人もいる。自分のことを好きだったはずの相手が別の人を好きだというのに、相談に乗ってくれたり、サプライズの協力をしてくれたりする。今でもこの友人とは仲が良いが、良い友人に恵まれたと思う。

 

サプライズは成功し、店を出て彼女を家に送り、断りの返事を聞いた。

私以上に周囲がいけると思っていたらしく、周りからはえらく驚かれたのを覚えている。

私としては、友達でいる期間が長かった分、そのような目で見られないのも仕方ないと思っていた。自分では平静を装っていたつもりだったが、その後ある飲み会で泥酔し、号泣していたらしい。

 

疎遠になるには惜しい関係だったが、それは覚悟の上で告白したのだから、少なくともしばらくはこちらから連絡できないと考え、およそ2か月、一切連絡を取らなかった。

 

次に連絡があったのは、友人からだったか彼女からだったか、3人での旅行の誘いだった。この旅行をきっかけに、また以前と同じような関係に戻ることになる。

友人が気を利かして旅行を提案してくれたのかは分からないが、友人なくして私と彼女の関係は続かなかったと思う。本当に良い友人に恵まれている。

 

 

 

年が明け、大学を卒業し社会人になると、私は実家を出て一人暮らしを始めた。

仕事がつらいあまり、土日に地元に帰り、かつてのバイト先でアルバイトをするような気が狂った生活をしていたため、週末に彼女と会うことはあったが、結局3人での旅行は丸一年なかった。彼女も会社に就職し、お互い以前より忙しくなっていた。

 

映画を観に行ったり飲みに行ったりと、仲の良い関係が続いてはいたが、私の中では、まだ友達として完全に割り切れておらず、複雑な心境がずっと続いていた。

とはいえ、一緒にいれば楽しいし、割り切れないのは悪いことではない。どうしても諦められなければまたアタックすればいいし、時間が解決してくれるならそれでもいい。

 

結局、諦めることはできなかった。社会人2年目を迎えた夏、約2年越しに、私は再度彼女に告白した。「結婚を前提に」というワード付きで。今となっては結婚願望などなくなってしまったが、当時は本気で結婚したいと思える相手だった。が、これには打算も多分に含まれていた。

その少し前も、彼女は別の人から結婚を前提に付き合ってほしいと言われていたらしい。結局断っていたようだが、「『結婚を前提に』と言われるとちょっと揺らぐよね」と話していたため、それを利用したような形だ。

結果は、またしてもノーだった。1度目より、望み薄だと思っていた分、ショックはあまりなかった。自分の気持ちに整理をつけ、仲の良い友人として関係を続けていこうと考えていた。

 

 

 

その年の冬、私は彼女のサークルの売り子を、コミケで手伝うことになっていた。以前も、友人と夏に手伝ったことがあり、その関係でまた、という形だった。

彼女が原稿でいよいよ佳境という時、私は取り返しのつかないことをした。

 

彼女はTwitterに、マンガのサンプルをあげていた。それを見た時、私は登場するキャラの敬語が、間違っていることに気が付いた。「○○様が申しておりました」というセリフだった。

今思うと、些細な違いだと思う。いや、当時もそう思った。わざわざ連絡して伝えるようなことでもないし、なにかのついでで会った時にでも伝えれば良いと思った。

というか、言うべきではないのではないかとすら、当時思い至っていた。以前に一度、絵のことで彼女を怒らせているのだし、携わっていない自分が口を挟むようなことではないと考えた。

だが、売り子として手伝う、セリフは彼女ではなく原作担当が書いている、直すのに時間はかからないだろう、彼女と自分の関係なら言っても大丈夫なはずだ、さまざまな言い訳があった。このどれかが欠けていれば、言うことはなかったと、断言できる。いや、これすら言い訳か。

説明しにくい感覚だが、私は彼女の絵が好きだったので、たとえ少数でも、それ以外の部分で引っかかりを覚える人がいることが、なんとなくもったいない気がした。完璧でいてほしかったというか、好きなアーティストが、ら抜き言葉を使っているような感覚だった。彼女の事情を考えずに、私が持っていた気持ちは、このようなものだったと思う。

 

旅行の帰り、お土産を渡すついでにその話をした時、彼女の反応は普通だった。だが、別れてすぐ、彼女から「そんなにおかしくなくないか」という連絡があった。私は文字を長々と打つのが嫌いなので電話したが、電話しているうちに、彼女が明らかに怒り出したことが分かった。

趣味でやっていることに、仕事でもないのにツッコミを入れられることが嫌だったらしい。些細な修正でも、そもそもの制作意欲にかかわってくる。今の時期に言わないでほしいと。

至極真っ当な話だ。馬鹿な私は、彼女が言われた時に感じる気持ちを、考えずに発言していたことにようやく思い至った。いや、その場では気付いていなかったのかもしれない。すぐに気付き、謝れていれば、今こうはなっていなかったのかもしれない。

 

彼女はしばらく怒ったままだったが、落ち着いてくると、寝不足でイライラしていたと謝ってきた。

たしかに本当にそうだったのかもしれないが、原稿が佳境な時期、仕事をしながらでは寝不足になるのも無理はない。そんなことは私が慮るべきだったが、またしても言われるまで気付きもしなかった。いつも、事前に相手のことを考えることができない。配慮が足りない。

 

私も怒らせてしまったことを謝り、電話は終わった。帰宅し、眠りに落ちようかという頃、彼女からLINEがあった。

LINEを見返していると腹が立ってくるため、履歴を流したいと言って、スタンプが大量に送られてきた。怒りが再燃してきたようで、その後も明け方まで文章が送られてきた。私にはもう、謝罪を送ることしかできなかった。

数日後、彼女から、予定していた旅行には行けないと連絡が来た。これまでにないほど、彼女を怒らせてしまっていた。しばらく離れた方が良いのだろうと思った。私がいたのでは、彼女も楽しめないだろう、売り子を他に頼めるならそうしてほしいと彼女に送った。彼女からは、そうする旨の返信がきた。

それが最後だった。知り合ってから10年、再会してから3年半が経った、3年前の11月のことだった。

 

 

 

周囲からは、こちらからは連絡せず、時間を置いた方がいいと言われた。彼女とかつて付き合っていた、スマ勢だった頃に私がよく参加していたオフ会の家主とも飲み、半年くらいは時間を置いた方がいいと言われた。その人が彼女と喧嘩した時、2年ほど連絡しなかった時期もあったそうだ。

その人は、仲を取り持つとも提案してくれたが、今日に至るまで、頼んでいない。それは面倒だからなのか、怖いからなのか、自分でもよく分からない。

結局、半年ほど連絡はなく、こちらから電話してみたが、やはりというか出なかった。その後も、酔っ払うたびに電話をしてしまう、未練たらしいことを続けていた。

 

酒を飲むたびに電話をかけ、相手が出ないたびに、もうかけるのはやめようと思う。連絡先を消せばそうならないと思い、意を決して消してみたが、彼女の電話番号は、長期記憶としてしっかりと残ってしまっていた。

とはいえ、電話をかける頻度は徐々に少なくなっていた。時間が経過するたび、自分の中で諦めが大きくなっていたということも、あると思う。電話をかけた回数は、合計で10回を数えただろうか。

 

何回か、彼女が電話に出たことがある。誰かと飲んでいる席のようで、「今飲んでるから」という話をされる、解散してから時間をくれるように言っても、「帰ったら寝る」で取り付く島もない。

一度だけ、彼女が家にいるであろう時に、電話に出たことがあった。だが、「何のご用ですか」と言われ、そのあまりに突き放した言い方に、私の心はあっさりと折れ、もう連絡しない方がいいかと訊いてしまった。彼女はそうしてくれと言い、電話は終わった。

それでも、気持ちをずっと引きずったままだった。最後に会ってから2年が経ち、こちらから連絡して、電話しても出なければメッセージを送り、それでもだめなら、それで最後にしようと決めた。

 

去年の11月、電話をかけると、彼女が出た。例によって飲みの席にいるらしかった。

これが最後だと思いかなり食い下がったが、それでも話を聞いてくれる様子はなかった。こちらからもう連絡しない方が良いか訊いたのだから、無理もない。

メッセージで過去の発言について謝罪し、翌日にもう一度だけ電話をかける旨を送った。出る気がなければ着信拒否くらいされると思っていたが、予想を微妙に外して、電源が入っていないという音声が流れた。

 

着信拒否ではなく、わざわざ電波を遮断していた真意は、よく分からない。以前、Twitterもブロックされた後に解除されていた。

悪いように取れば、拒絶はしたいが、あくまで自分は明確な拒絶の姿勢を取っていないという風に見せたいという保身にも思える。良いように取れば、完全な拒絶をしているわけではないとも思える。

 

まあ、ともあれ、これが本当に最後だった。それからは一度も連絡をしていない。今後もすることはないだろう。

 

 

 

私の周囲には、彼女が怒って当然だと言う人もいれば、なぜ怒るのか全く分からないと言う人もいた。自分の周囲には、必然自分の味方が多いので、私を擁護する意見の方が多かった。

だが、彼女が怒ったことの是非だとか、他の人が怒るかどうかだとかは、関係ない。大事なのはただ一つ、彼女にだけは、言ってはいけなかったということだ。

上で述べた通り、人の感情は、その人自身が決めるもので、その是非を他人が口出しできるものではない。「なぜ怒るのか理解できない」はいいが、「なぜ怒るのか理解できないから彼女が悪い」には絶対にならない。

 

ただ、これまた上で述べた通り、少なくとも誰もが怒ることではないのだから、一度は謝るチャンスが欲しかったという気持ちが、正直、ある。これだけ考えたうえでのことだから、もう二度と同じ過ちは繰り返さないと、はっきりと誓える。

だが、この「一度はチャンスがほしい」という考えも、結局私の意見の押し付けでしかない。一度目を許す・許さないも、その人自身が決めることなのだから。

そもそも、私は絵に対して言ったつもりは一切なかったが、彼女からしてみれば絵のことを言われたも同然だったとも取れる。それよりも前に彼女を怒らせたことを入れると、今回は二度目だ。

 

初めて彼女を怒らせた時、絵については口出ししないことを決め、今回も言わない方が良いかもしれないと思っていたにもかかわらず、言ってしまった自分が愚かだった。

結局、「言うべきか微妙なことは、言わない方が良い」というひどく当たり前の結論を、自分には大きすぎる代償をもって知った。

 

 

 

いまだに、彼女のことを夢に見る。さすがに時間が経つにつれ頻度は減ってきたが、まだ心のどこかで、いつか仲直りができないかと考えているのだろう。

決まって、彼女に許され、仲直りする夢だ。ひどい時には、夢の中で夢じゃないことを確認し、喜びに浸っていた。起きてからの気分は、言うまでもない。

 

 

 

Twitterのことで文句を言われたことがあるのは、先に書いた通りだが、彼女もこの件について当日、また1週間ほど後にも、Twitterに不満を書いていた。

この時ばかりは、あまりのダブスタっぷりに、モヤモヤしたことを覚えている。

 

このことや、こちらの連絡に対する冷たいあしらいなどを考え、あんまりではないかと、彼女に対して憤りを覚えることもある。

だが、彼女の仕打ちが本当にあんまりだろうが、そんなことは関係ない。憤ったところで、かえってつらくなるだけだ。

なぜなら、私は、できることなら謝り、元の友人関係に戻りたかったからだ。彼女の仕打ちがどうとか、怒ったことがどうとか、そういった一切を除いて、ただただ仲直りがしたかった。その願いに対しては、それが叶わないという事実しか存在しない。

 

周囲からは、私を擁護し、彼女を批判する声もあった。だが、私が必要としていたのは、いずれ連絡が来るという、淡い希望を抱かせてくれる言葉や、時間が忘れさせてくれる、あるいは無理だから諦めろという、現実に引き戻させてくれる言葉だったのかもしれない。

 

 

 

ずるずると、後悔とわずかな希望を引きずったまま、間もなく3年が経とうとしている。普段は、趣味や仕事や友人関係、それなりに楽しく前向きに生きていると思う。だが、ふとした時、堂々巡りのように、今まで垂れ流してきた思考を反芻している。そしていつも、仲直りがしたい、でもできないという、抜け出せない結論に陥り、思考が止まる。

心無いことを言ってしまった罪悪感、彼女を失ったつらさ、彼女の仕打ちに対する憤り、さまざまな感情がないまぜになり、ぐちゃぐちゃのまま、出口の見えない結論に行き着く。これではまとまるはずがない。

 

先日、風の噂で、彼女が作画を務めるマンガが、出版されたと聞いた。一度、彼女の夢を訊いた時、自分のマンガが書店に平積みされることだと話していた。彼女の夢が、少しずつ叶っているのだと思う。ぜひ叶ってほしいと願うが、それを祝福することは、私にはもうできない。

 

あの時言わなければ、言い方を少し工夫していれば、売り子を他の人に頼むよう言わなければ、電話がつながった時にすぐ謝っていれば、メッセージでも謝っていれば、連絡しない方が良いかなんて訊かなければ、仲を取り持つよう知り合いに依頼していれば、あの日Twitterを見ていなければ、一度目に怒らせた出来事がなければ、もっと浅い付き合いで満足していれば。

詮無いことを、数えきれないほど考えた。これからも、ふと考えては後悔する日を、完全に忘れ去るまで続けるのだと思う。

この文章が禊になんて、なるはずがない。