男女平等を求める不均衡

たまにはまじめな文章を書いちゃう。失われたIQを回復していけ

2週間くらい前に書いたけど、下書きに眠らせていたら超絶話題に乗り遅れたのはご愛嬌。

 

 

https://news.yahoo.co.jp/articles/c9507864e22da576e1b8446b9c610b56e096b0a8

 

 

Vtuberが出演した警察の交通安全PR動画に対して、全国フェミニスト議員連盟なる団体が抗議し、動画が削除されたらしい。

先に自分の立場を表明しておくと、私は男女の性差別は撤廃されるべきだと思っているし、社会や組織においても平等に挑戦できる「機会」が与えられるべきだと思っている。

そういう意味ではフェミニストと言えますね。特に平等を訴えたり、発信してるわけではないけどな!

まあ、ごくごく現代に一般的な考えの持ち主であるわけです。男女平等が自然に受けいられるようになってきた今どき、原義のフェミニストに当てはまらない人はあんまりいない。

 

 

今回の問題は、出演しているVTuberの露出が多く、中高生であるにもかかわらず性の対象であることを強調している、と議連が訴えたことがきっかけにある。

それに対し、政治を盾にしたフェミニストの横暴だ、いやいや抗議することは表現の自由だ、などと、色々と議論が広がっているご様子。

アンチフェミやVTuberファンなど、かなり多くの人を敵に回してしまってるので大変そう(対岸の火事

 

さて、本当に性の対象であることを強調しているかは、一旦置いておくとして。

そもそも、女性を「男性に消費される性の対象」として捉えているような立場は、本来フェミニストが取るべきである、社会や組織における男女平等を訴える立場と真逆。

女性を「守るべきもの」として捉えること、あるいはそれにつながりかねない行動を取ることは非常に危険で、少なくとも、そこに平等・均衡はない。

男性を性の対象とした作品にも批判を向けないと平等とは言えないし、過剰な庇護のもとに置くことは、かえって女性の活躍の場を奪うことにつながるからだ。

 

Twitterで見かけた意見の中に、「グラビアなどもよくフェミニストから攻撃されるが、1人の女性が自分自身を表現する場を奪っているとも言えるし、今回の例も同様」というものがあった。

自分の考えもかなりこれに近い。強要されているなら声をあげるのも正しいけど、本人が望んでやっていることなら、それを取り上げようとするのは大きなお世話で、いたずらに女性の選択肢を狭めることに繋がりかねない。

 

批判すること自体への言及はこんなところ。

 

 

で、一旦置いておいた、本当に性の対象であることを強調しているかどうか、という視点について。

表現を不快に思う人が多いか少ないか、というのは、なんだかんだ重要な視点だ。

この視点を排除してしまうと、不快に思う人が1人でもいるなら規制すべき、となってくる(逆も然り)。当然、そうなるとあらゆる表現は不可能になる。

 

かといって、不快に思わない人が1%でも多いなら、その表現は規制されないかと言うと、そうでもない。

現状では、他国に悪感情を持たれる可能性のあるものや、一定数の特定の人に強い悪感情を持たれる可能性のあるものは、規制される傾向にある…と思う。

それがいわゆる表現の不自由につながるかどうかは、今後も議論が続くだろうし、今回の件と切り離して議論されるべきものなのだと思う。自分は興味ないけど

いずれにせよ、多少の話で言うと、今回の件は議論に挙げるに足らないほど、不快に思う人は少ない、一定数にも達していないだろうというもの。

今回の炎上は、ここの認識の乖離がおそらく最も大きい。

 

とはいえ、「一定数」というのにも明確な基準はない。

例えば今回の動画に出演していたVTuberのスカートがもっと短くてパンツが常に見えていたら、胸がもっと大きくて画面の大半を埋めつくしていたら、キャラがアヘ顔ダブルピースで交通安全を訴えていたら。

それは大多数の人が不快感を覚えるものになるだろうし、だからこそ批判というのは、批判する前にそれが客観的にどう捉えられているのかをよく考えないといけない。

フェミニスト議連の人達は、不快感を覚える人が多かったのだろうし、結果周りがみんなそうなのだから正しい批判だ!となってしまったのだろう。

この現象自体は珍しいことではなくて、戦時中に一億玉砕の考えが広まったのも、狂気が正常化された結果のもの。人は緩やかに狂う

 

 

批判をすることも表現の自由だ、という意見も出ていたけど、問題はそこではなく、的はずれな批判をすることによる、フェミニストへの風当たりが強くなることにある。

要するに、批判はもちろん自由だけど、その結果、これだからフェミニストは…と思われるのを加速し、かえって女性の権利を遠ざけていませんか、という話。

まあ、批判が自由と言っても、表現の自由を盾に罵詈雑言を並べる人も多いので、表現の自由ってのも扱いが難しいものな気もしますねえ

 

 

ここからは本筋から若干逸れるけど、せっかくなので少しだけ。

組織の中で、女性にも重要な役職に就く機会を設けるべき、というのは正しい論理。ただし、重要な役職を与えるべき、という論理は誤り。

出産や育児に取られる時間が多い(男性の育児への協力はもちろんとして)以上、女性が働ける時間は短い。

だからこそ、(能力の高い人が)短い時間でも成果を挙げられるマネジメントをするべきだし、それをできる組織構造を作るように働きかけていくのが、本来フェミニストが取るべき立場なんじゃないかなと思う。

 

生物学的に見て男性の方が能力が高いから、女性を重要な役職につけるべきではない、という意見もある。

これが事実にせよそうでないにせよ、この意見はナンセンスで、それこそ主語を大きくしている。

ひとりひとりに対して言えるものではないので、能力がある女性を役職につけない理由は何一つない。

この考えが行き着く先は選民思想で、障がい者には就業機会を与えるべきではない、にもなりうる。