意味を持たない創作

真なる美は、用と無用の間に宿る。

ハカセの口癖だった。

 

私がハカセに作られた時も、彼はその言葉を口にした。

私をトーマスと呼び、私の役割はただ存在することだと滔々と語る彼に返答しようとした時、彼は言った。

「君には考える頭や言葉を聞く耳、外を見る目があるが、応える口はない。考えたことを口に出せないのに、頭があることは無意味だと思うかね?だが私は思うのだ。真なる美とは、用と無用の間にこそあるのだと。」

美というものがどういうものなのか、そもそも解さない私にとって、彼の言うことは何一つ分からなかった。ただ、生き生きと自説を語る彼に対して、わずかながら羨望を覚えたことは覚えている。

その日から、ただひたすら思考する私の日々が始まった。

 

ハカセは毎日、屋外にいる私の元へ様子を見に来てくれたが、そこから外へ行くことは、ついぞなかった。

彼は、研究所兼アトリエである自宅に籠り、不思議な発明品や作品を作り続けているようだった。それらが出来上がるたび、彼は嬉々として私に見せに来た。

一定確率で水が溢れるバケツ、ただ空を眺める人の絵、巨大な三角形のオブジェ────およそ意味のある物には見えないそれらは、ハカセにとってまさに美そのものだったようだ。

あいも変わらず美を理解できない私だったが、それでも、これが用と無用の間にある美か、と薄ぼんやりと感じていた。

 

いくつかの季節が過ぎた頃、あることに気がついた。

外を歩く人々は皆、いつも同じ顔で同じように過ぎていく。が、ハカセだけは少しずつ年老いていくようだった。

私の抱いた疑問に答えるように、ある時彼は語った。

「かつては芸術が必要とされた時代もあった。全く意味を持たないような物が、アートだ芸術だと、持て囃された時代があったのだ。だが、科学の発達と共に、それらは淘汰されてしまった。

いまや誰もが不老不死の薬を飲み、自分の最も美しい状態を保っている。しかし、それは真なる美と呼べるのだろうか?死ぬべき時が来たら死ぬということが、人間に備わった最も基本的な美、機能美なのではないだろうか?」

 

私は何も言わなかった。応える口がないのだから当然だが、仮に口があったとしても、何も言えなかっただろう。

ハカセの問いかけは難解で、到底答えの出せるものではなかった。

道ゆく人々はエネルギーに満ちていて、確かに美しいと言える外見なのかもしれない。だが、日毎に活力を失うハカセを、美しくないと断ずることもまた、私にはできなかった。

 

彼は人に理解されない孤独な研究、あるいは創作を続け、ある時私のそばに、もう一つの創作物を置いた。ワトソンと名付けたらしい。私たちに名前など何の意味も持たないが、これもまた、ハカセにとっての美なのだろう。

私たちは互いに意思疎通する術を持たないまま、ただ屋外に存在し続けた。

 

幾許かの時が流れた。照る夏を超え、雪吹き荒ぶ冬を迎えた頃、ハカセは自らの死を予言し、それから私たちの元へ現れなくなった。

彼が本当に死を迎えたのかは定かではないが、それからというもの、私は本当にただ存在するだけの物になった。

思考するきっかけを与えてくれていたのは、いつもハカセだったのだ。

思考を反芻するのもやがて終わり、長い長い時が流れた。

 

ある時、声が聞こえた。

「すごーい、こんな所にまだあったんだ」

すぐそばに人間がいた。彼女は私とワトソンを写真に収め、すぐに離れていった。

不思議だった。写真を撮られたことなど、初めてのことだった。

私たちの存在が、彼女にとって何かの意味を持っていたのだろうか。それとも、彼女は用と無用の間にある美を求める人だったのだろうか。

 

いまだに答えは出ない。これからも答えは見つからないのかもしれない。

私はどこにも繋がらない階段として、ワトソンは塗り固められた窓として、ただ存在し続ける。

 

 

 

元ネタ